鴨川日記

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なぜ『それ町』は<廻っている>のか?

  漫画『それでも町は廻っている』を読み終わった者は、誰しもあの最終話に違和感を持つだろう。129話「少女A」は主人公・嵐山歩鳥が「よいオチが思いつかない」と叫ぶシーンで終わっている。このセリフをメタ言及、つまり作者が『それ町』のオチが思いつかなかったことを主人公の口を借りて告白しているのだと解釈すると、綿密に積み重ねられてきた本編を締めくくるのには少し物足りない気がする。一体どのように受け止めればよいのだろうか。

 単行本の読者ならすぐに気が付くことだが、この作品にはきちんとオチがついている。単行本に収録されているエピローグ「それから…」を読む限り、作者はこの作品のオチを思いついている。従来通りの関係性が変わらず続いていくことを強く望んでいた歩鳥だが、エピローグでは亀井堂静との関係を積極的に変えていく。歩鳥の言葉に対する亀井堂の反応にも胸が熱くなる素敵なオチだ。このことから、最終話の歩鳥のセリフをメタ言及と捉える解釈は妥当だと言い難い。
 それではなぜ、「少女A」が最終話なのだろう。勿論あのセリフがメタ言及でないからといって最終話として全く機能していないわけではない。128話「嵐とともに去りぬ」とこれ以上繋がりのよい話は他に見当たらない。しかし、この大作を締めくくるのによりふさわしいエピソードが他にあったのではないか……この想いに駆られた者は誰しも、この作品では時系列がシャッフルされていることに思い至る。129話「少女A」はたまたま時系列シャッフルで一番最後に来ているだけであり、本当の<最終回>はどこか別の場所に配置されてしまったというわけだ。それでは、どのエピソードが本当の<最終回>なのか。
 真っ先に確認したくなるのは、時系列を整理したときに最後に来るエピソードである。丁寧に読み返せば、111話「夢幻小説」がそれにあたることが分かる。歩鳥が自分が生まれなかった世界を訪れた<夢>を思い出そうとするエピソードで、タッツンこと辰野トシ子が冷え性で受験勉強を中断していることとシーサイドがメイド喫茶ではないことから高校3年生の冬が舞台だと判断できるからだ。このエピソードが<最終回>でもおかしくないと私は思う。歩鳥の話から回想パートが128話「嵐とともに去りぬ」の後日談であることが示唆されており、歩鳥の3年間の物語は少なくともバッドエンドではなかったことが分かるからだ。また、回想パートで亀井堂と歩鳥の関係性が重要な役割を果たしており、エピローグとの繋がりも良い。
 しかし、111話が<最終回>だとここで決めるのは聊か短絡的ではないか。それは次の二つの理由からである。一点目は先ほど129話を<最終回>にふさわしくないとしたのと同じ理由だ。例えば127話「至福の店フォーエバー」こそ<最終回>にふさわしいのではないか。『それ町』は歩鳥とタッツンがメイド喫茶シーサイドで働き始めることで幕を開ける。タッツンがバイトを辞める「至福の店フォーエバー」ならば、1話と対応することができる。また、127話は『それ町』屈指の名エピソードである。『それ町』全編通して唯一の見開きページには二人の思い出が散りばめられている。「楽しかったね」と手を取りあう二人。誰もが認める感動回であろう。この127話と比べた時、111話にどれだけ分があるだろうか。しかし、一点目に勝って重要なのは、二点目である。つまり、ここで111話を<最終回>としてしまっては、時系列シャッフルに関して疑問が残るのだ。時系列順にエピソードを並び替えた時に最も後にくるものが自動的に<最終回>なのであれば、時系列シャッフルは111話を読者に探すように促すために存在していたことになる。勿論時系列シャッフルがこれ以上何か別の意味を持たなければならないということはない。また、歩鳥が推理小説を愛読し探偵を目指していることを踏まえれば、このようなパズルが仕掛けられていたとしても驚くに値しない。しかし、本当にそれだけのために、10年間以上時系列シャッフルという足枷を自らはめてきたのだろうか。本当に時系列シャッフルについてこれ以上の解釈ができないものか。
 作品をどのような形で読めばよいかという問題を読者の裁量にゆだねる目的があったのではないか。これがこの問題に対する私の仮説だ。本作をどのように読み進めればよいかという問いに対して、我々は時系列や作者の決めた順番という正解を持たない。本作を読み進める際に時系列に沿って読む必要はない。何しろ作者がそう強いてくるのだ。作者が行った作品の並べ方もあくまで一例に過ぎない。たまたま129話が最終話だったように、時系列順で最も後にくるエピソードがたまたま111番目に描かれたように、目の前に並んでいる『それ町』のエピソードはたまたまその場所に収まっているにすぎない。つまり、我々は本作をどのように読み進めても、あるいはどのように読み返してもよいことになる。裏返せば、我々は本作をどのように読み進め、あるいはどのように読み返すか自分で考えなければならない。『それ町』は読者ひとりひとりのその時々の読み方によってシャッフルされ続ける不思議な構造を持った作品なのだ。
 この構造を踏まえれば、読者が<最終回>を自由に選んでよいことは明らかだろう。読者が自分なりの読み方を大事にしながら<最終回>を選び、それを<最終回>にふさわしいと思う位置に置きながら自分だけの『それ町』を作っていくことができる。編集作業を行うにあたって、111話や127話を<最終回>にしたいのであればそれを最終話にすればいい。紺先輩との関係を主軸に読むなら、11話「猫少年」を冒頭に125話「紺先輩スペシャル」を最終話に持ってきていい。同じく紺先輩との関係を主軸に置いていても、<最終回>は76話「歩く鳥」という人もいよう。さらに言えば、<最終回>が最終話である必要はない。<最終回>である76話の後ろに後日談として125話をつけても構わない。
 ここで足を止めても構わない。しかし、私はせっかくここまで来たのだから、もう一歩踏み出してみたい誘惑にかられる。読者がそう思うならそれが<最終回>であるのであれば、どのエピソードが<最終回>でも構わないだろう。1話から129話まで全て<最終回>といえない回はなくなる(これまで散々けなしてきた129話がどうして<最終回>でないといえようか。本稿の冒頭で129話が最終回であることをどう受け止めればよいのかと問いを立てたがこれがその答えである)。本当の<最終回>はどれかという問いに対して、すべてのエピソードが等しく正解ということだ。ここに至れば、このような疑問が頭を過るはずだ。果たして本当にその問いに取り組まなければならないのか。
 驚いたことに、この問いに否と答えることは作品と向き合う上で消極的な意味を持つわけではない。むしろそう答えたくなることこそがこの作品の肝だと私は考える。ここまで歩いてきた我々はもう<最終回>など選ばなくてよいのだ。全てのエピソードが<最終回>になり得る。もっといえば、1コマ1コマが<最終回>に等しい輝きをもって作品の中に組み込まれている。時系列シャッフルは、このような読み方を読者に提案する仕掛けなのではないか。
 この読み方は、すべての瞬間が平等に尊いという人生観を想起させる。感動に胸をいっぱいにさせている時も、トラブルに巻き込まれて葛藤している時も、親しい人と一緒に過ごす大切な時間も、一人で漫然と過ごしている時でさえ、<最終回>と呼ぶにふさわしい重さを持っている。我々は日常的に時間に重みづけを行い、人生を解釈している(だからこそあの場所で足を止めても構わない)が、その作業の果てで、すべてが光って見える瞬間がやってくるというわけだ。本作の描こうとしているものに辿り着くためには、この人生観まで考慮に入れるのが適当だろう。『それ町』は単なる日常系ギャグ漫画ではない。嵐山歩鳥が歩んだ3年間なのである。(HRK)

ソクラテスとホメロスのあいだで

藤澤令夫「プラトン的対話形式の意味とその必然性 - 文学と哲学」『藤澤令夫著作集Ⅱ イデアと世界』(岩波書店)所収
藤澤令夫著作集〈2〉イデアと世界

藤澤令夫著作集〈2〉イデアと世界

 

 言葉のもつ危うさを批判しながら、それでもなお言葉で綴る。プラトンはそうした形であの膨大な著作群を書き残した。誰の頭にも当然のことのように、なぜプラトンがそれらを書いたのかという問いが浮かぶ。その正確なところを探ることは私の力量を超えるので、ひとまずプラトンが書くことに対して何らかの意味を見出していたと回答しておくとしよう。むしろ本稿が問題にしたいのは、なぜプラトンは自身の著作に対話篇という形式が採用されたかということだ。この問いに答えることは、なぜ一方で書き言葉を批判したプラトンが自身文章を書いたのか考えるうえでも非常に参考になる。この問いに正面から取り組んだ論文を簡単に紹介しながら、 詩論する詩・試論~シェイクスピア・ソネット85番~ - 鴨川日記 に対するささやかな応答を試みたい。なお、本稿では都合上、孫引きなど本来避けられるべき行為を行うことがある。その都度指摘するようにするが、ご容赦願いたい。

 この論文は初め『岩波講座 文学 4 表現の方法1 - 世界の文学 上』(岩波書店)に寄せられた(以下、この岩波講座版を参照しながら書き進める。先に『藤澤令夫著作集』を挙げたのは新しさを考慮してのことである)。

  哲学者をめぐる論考がどうしてと違和感を抱くかもしれないが、プラトンの書いたものに触れたことがあれば、これはそれほど驚くことでもないはずだ。プラトンの対話篇では、個性豊かな登場人物たちが、具体的な「とき」と「ところ」において、生き生きと議論を交わしており、十分に文学的と呼べる。アリストテレスも『詩学』の中で、プラトンによる「ソクラテス対話篇」をミーメーシス(言葉による描写)による創作、つまり叙事詩などと同様に文学であると考えていたと藤澤は指摘する。しかし、一方で『詩学』以外のテクストにおいてアリストテレスプラトンを哲学者として扱っている。ホワイトヘッドの言を俟つまでもなく、我々はプラトン著作を哲学書として読み、彼の哲学をこそその中に見ようとしてきた。ここにプラトンのテクストが二重性を持つものとして現れる。すなわち、「文学」のテクストであると同時に、「哲学」のテクストでもあるのだ。この点について藤澤は次のように問いを立てる。

 こうしてわれわれは、通常、プラトンの対話篇は哲学書であると同時に文学書であるとか、文学的要素の加味された(あるいは「芸術的香気に包まれた」)哲学書であるとか言って事をすませている。しかしこれは多くの場合、怠惰な答というべきであろう。いったい、いうところの「文学的要素」とは、正確には何を指すのか。プラトンの対話篇のもっている性格の、どこまでがどのような意味で「文学」であり、どこまでがどのような意味で「哲学」であるのか。(p280)
 藤澤は、プラトンの対話篇の本質的性格を見定めるための作業を行うとして、ホメロスからギリシア悲劇に至る文学の歴史を辿り直している。この作業が、プラトンの文学性を歴史の中に位置づけることを可能にすると同時に、哲学のはじまりを文学との関連の中で考える素材を我々に提供してくれるのである。この視角から、古代ギリシャにおける文学の歴史は「ディアロゴス性ともいうべきものが、しだいに現実化されて行く過程」(p302) と特徴づけられている(ディアロゴスとは対話のことである)。このように歴史を眺めたとき、ソクラテスは「叙事詩から悲劇に至る動きと、それを受け継ぐ「ロゴスが主役になる」という悲劇そのものにおける動きの先に、その最後の段階を - 純粋対話ともいうべきものによって - 完成させるべく登場した人物」(p301) と評される。彼が対話による哲学を実践したのも、思考が同時に自分自身との対話であるからに他ならない。
 その先にプラトンの対話篇が現れる。プラトンにとって、ソクラテスの「純粋対話」の精髄は「ディアレクティケー」に見出される。それはすなわち、「前提と帰結の積み重ねによる推論が、対話者どうしの相互確認を通じて一歩一歩厳密に進められていく過程」(p302) である。プラトンにおいて、ディアレクティケーに基づいて行われるソクラテスの思考実践はイデア的な真実在へ近づこうとする努力、すなわち「哲学」だと考えられた。以下の引用に見られるように、このようにして成立したプラトンの「哲学」は必然的に「文学」と区別されると藤澤は指摘する。
 しかしながら、すべてこうしたモチーフは、それが文学のたどってきた動きの家庭の行き着く窮極に成立したものでありながら、いっさいの感覚的継承を振り捨てるという点において、それ自身は文学と本誌的にそのあり方をことにするものであり、それゆえに、それら「文学」の総体に対する対決と否定を必然とするような性格のものである。 (p303)
 このことを踏まえて、ソクラテスに立ち返ろう。ここで理由を問うことは控えたいが、「哲学」を体現していたソクラテスは何も書き残さなかった。「「物を書く」ことには、不可避的に「慰戯」的な要素が伴わざるをえない」(p305, 『パイドロス』274C以下参照として、藤澤が訳出している部分を孫引きした) のではないかという考えがそこにあったのかもしれない。この立場からすれば、プラトン自身のテクストもまた、ミメーシスに過ぎないのではないだろうか。このことを彼自身も肯定するだろう、と藤澤はいう。それは他ならぬ彼の立場なのだから(上の引用が『パイドロス』によっていることを確認してほしい)。むしろその問いの先に、いかなる態度で書くかを問題としなければならないだろう。藤澤は『パイドロス』の同じ箇所を参照しながら、書く人自身が哲人的な人間とそうでない人間とに区別されることに注意を促していると指摘する。
 書く当人が書かれたもの以上のものをもち、真実そのものがいかにあるかを知っていて、書かれた言葉の限界とその慰戯性を自覚している場合には、彼が書くものが何であっても、その人は「哲学者」と呼ばれるべきであり、これに対して、「書かれた作品以上に価値のあるものを自己の中心にもっていない人」、ひいては書かれた言葉の中に「何か高度の確実性と明瞭性が存する」と思い込んでいる人は、それぞれ書きものの性格に応じて「作家(詩人)」とか、「作文家」とか、「法律起草家」と呼ばれるべきである。(p306)
 ここから、プラトンがどうして対話篇という形式を選択したのかが見えてくる。藤澤は一人称による論文形式を「多くの場合それと意識されないミーメーシス」(p307)とし、それではなく、「ミーメーシスであることの明確な自覚のもとに置かれた対話篇という形式」(p307) をプラトンが選んだとするのである。ここに対話篇が「ホメロスからソクラテスに至る「ロゴス」の営みがたどった動きの先において、「考えること」自体がすでに対話であることの見定めと、「書くこと」自体がすでにミーメーシスであることの自覚とが相まって生み出された、それ自身必然的な表現形態」(p307-p308) として立ち現れてくるのである。
 廣川洋一『プラトンの学園 アカデメイア』(岩波書店 のちに講談社学術文庫)は、藤沢の論文も参照しながら、この問題について彼なりの整理を行っている。 
プラトンの学園 アカデメイア (講談社学術文庫)

プラトンの学園 アカデメイア (講談社学術文庫)

 

 廣川は藤澤がプラトンの対話篇の特徴として描き出したディアレクティケーとミネーシスの結婚関係を見事に捉え返している。

  生命を持ち、魂のうちに響きあう言葉〔…〕は、事柄をまともに知ることを意図して、ディアレクティケーの技術を用いながら〔…〕ふさわしい魂を相手に得て、たがいの精神の内部にかわし合うものであった。これこそ真の情熱に値する原物に他ならない。書かれた言葉がいかなるものであれ、原理上すべて模像、影にすぎないものではあっても、プラトンがその影像性を十分に自覚したうえで、詩や劇や弁論や論文の形式をふまず、あえて対話という形式を採ったのは、やはり積極的な意図からであったと思われる。対話・問答形式による書き物こそは、プラトンにとってあの「真の情熱に値する原物」 - 知性の領域においてかわされるディアレクティケー - におそらく最もよく似た模像であった。(岩波書店版 p187)

  最後に、本稿が先日SPQRが投稿してくれた詩論に触発されて書かれているものだということを思い出しておこう。シェイクスピアのあのソネットもまた、プラトンと同じく言葉を非難しつつ言葉に自らの内面を託すものであった。SPQRも藤澤もこの点に着目し、この自己言及をどのようにとらえるべきなのかと問いをたてている。ここで面白いのは、言葉を用いて自分の想いを綴っていること、すなわち内容が言葉に縛られていることが、単純に内容に対する言葉の優位を示さないという点である。言葉を使う以上、我々は言葉のもつ限界から逃れることはできないだろうが、プラトンにおいては内容に対する姿勢こそが彼の言葉を救っている。SPQRが文章の最終段落を「そうではない」と始めたのは、プラトンとその希望を共有するが故だ。しかし、内容に対する姿勢は万能な免罪符なのだろうか。言葉の限界は、ロゴスの批判者である彼ら自身に一番痛切に自覚されてしまう。こうしてSPQRの論考と同じように、ここでも問題ははじめに戻ってしまうことになる。

 ソクラテスの内的対話とホメロスのミネーシスの間でもがくこと。それが言葉に対する懐疑を持ちながらなお書き続ける者の宿命なのだろう。そのことを描き出したところに、SPQRの論考の特筆すべき美点がある。 (HRK)

文字に添って

B.フィンク『「エクリ」を読む』(人文書院, 2015)
「エクリ」を読む: 文字に添って

「エクリ」を読む: 文字に添って

 

  現代思想の諸テクストの中でも、『エクリ』(1966)は読まれることを拒むかのような難解さをもって鳴る。著者は J.ラカン(Jacques Lacan, 1901-1981)。彼は独自のフロイト解釈で知られる精神分析家であるが、その影響力は精神病理学だけにとどまらず、現代思想にも大きな足跡を残した。ラカンはもっぱら彼のセミネール(セミナー)において口頭で自身の理論を展開していたため、彼自身が執筆したテクストはあまり多くない。そのような状況下でラカンを理解するにあたって、彼の思想のエッセンスが凝縮された『エクリ』にあたることは非常に大きな意味を持つ。しかし、彼の講義録(現在『セミネール』の名で刊行されている)にあたることができる現在においてもなお、『エクリ』を読むことは、こと初学者や専門外の者にとっては難しい。

 本書は『エクリ』の英訳を長年手がけてきた B.フィンク(Bruce Fink)によるラカン解説書である。本書の白眉は、第3章と第4章であろう。これら二つの章では明確に、副題「文字に添って」のとおり、ラカン自身によるテクストを紐解いていくスタイルをとっているのだ。『エクリ』所収の重要論文の中から、第3章では「無意識における文字の審級、あるいはフロイト以後の理性」、第4章では「フロイトの無意識における主体の転覆と欲望の弁証法」が扱われている。ラカンの晦渋なテクストの読解作業に一級の解説者が併走してくれる贅沢な一冊だと思う。

 今まで、思想家のエッセンスを抽出して読者に提示したり、思想家の思索の流れを追う形で作品の簡単な解説を行ったりするものが概説書だと勝手に思い込んでいた。しかし、この本が試みるように、テクストの精緻な読解だけを読者に提供することは、マクロな視点からラカン像を明確に記述することを断念することでもある。私にとって、原文を解きほぐすことでラカンに接近していく本書との出会いは一つの衝撃だった。本書は極めて簡潔ながらも注釈書としての性格を有しており、仏文原典や英訳と読み合わせながら取り組むことができる。読者を原典に向かわせることに成功しているのは、二次文献としては特筆すべき美点であろう。また、読了後に私も驚いたのだが、概念の整理が行き届いていて理解がすっきりしている。良質な解説書は、思想家のテクストそれ自体と向き合うことがもつ意味を原典以上に教えてくれるのだ。
 勿論、これ一冊で十分というわけではない。シニフィアン連鎖や欲望論は非常に重要であるが、それらはラカン山脈の一つの嶺に過ぎない。また、4章では欲望のグラフの解説を集中的に行っているが、そこに登場する「欲動」など中期以降のラカンにとって重要となる概念について詳しく展開されていない。しかし、当然この責を本書に押し付けるのはお門違いであり、十分にラカンの思想を理解するためには、自分で他の本をあたる必要があると思う。例えば、最新のものとして向井雅明『ラカン入門』(ちくま学芸文庫 2016)がよいと思う。
ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

 

 概念の解説が豊富で、ラカン関係の文献にあたる上での基本知識を一通り獲得することができる。フィンクの著作に当たる前に該当箇所を一読しておくと理解が深まると思う。決して平易ではないが、熟読しようとすれば自分の理解が試されるような読み応えのある文章なので、長く付き合うことを前提に読み始めるといいかもしれない。ちなみに、『ラカン入門』でも第3章で「フロイトの無意識における主体の転覆と欲望の弁証法」の詳細な読解を行っているので、読み比べてみると面白いと思う。(HRK)