ソクラテスとホメロスのあいだで
言葉のもつ危うさを批判しながら、それでもなお言葉で綴る。プラトンはそうした形であの膨大な著作群を書き残した。誰の頭にも当然のことのように、なぜプラトンがそれらを書いたのかという問いが浮かぶ。その正確なところを探ることは私の力量を超えるので、ひとまずプラトンが書くことに対して何らかの意味を見出していたと回答しておくとしよう。むしろ本稿が問題にしたいのは、なぜプラトンは自身の著作に対話篇という形式が採用されたかということだ。この問いに答えることは、なぜ一方で書き言葉を批判したプラトンが自身文章を書いたのか考えるうえでも非常に参考になる。この問いに正面から取り組んだ論文を簡単に紹介しながら、 詩論する詩・試論~シェイクスピア・ソネット85番~ - 鴨川日記 に対するささやかな応答を試みたい。なお、本稿では都合上、孫引きなど本来避けられるべき行為を行うことがある。その都度指摘するようにするが、ご容赦願いたい。
哲学者をめぐる論考がどうしてと違和感を抱くかもしれないが、プラトンの書いたものに触れたことがあれば、これはそれほど驚くことでもないはずだ。プラトンの対話篇では、個性豊かな登場人物たちが、具体的な「とき」と「ところ」において、生き生きと議論を交わしており、十分に文学的と呼べる。アリストテレスも『詩学』の中で、プラトンによる「ソクラテス対話篇」をミーメーシス(言葉による描写)による創作、つまり叙事詩などと同様に文学であると考えていたと藤澤は指摘する。しかし、一方で『詩学』以外のテクストにおいてアリストテレスはプラトンを哲学者として扱っている。ホワイトヘッドの言を俟つまでもなく、我々はプラトンの著作を哲学書として読み、彼の哲学をこそその中に見ようとしてきた。ここにプラトンのテクストが二重性を持つものとして現れる。すなわち、「文学」のテクストであると同時に、「哲学」のテクストでもあるのだ。この点について藤澤は次のように問いを立てる。
このことを踏まえて、ソクラテスに立ち返ろう。ここで理由を問うことは控えたいが、「哲学」を体現していたソクラテスは何も書き残さなかった。「「物を書く」ことには、不可避的に「慰戯」的な要素が伴わざるをえない」(p305, 『パイドロス』274C以下参照として、藤澤が訳出している部分を孫引きした) のではないかという考えがそこにあったのかもしれない。この立場からすれば、プラトン自身のテクストもまた、ミメーシスに過ぎないのではないだろうか。このことを彼自身も肯定するだろう、と藤澤はいう。それは他ならぬ彼の立場なのだから(上の引用が『パイドロス』によっていることを確認してほしい)。むしろその問いの先に、いかなる態度で書くかを問題としなければならないだろう。藤澤は『パイドロス』の同じ箇所を参照しながら、書く人自身が哲人的な人間とそうでない人間とに区別されることに注意を促していると指摘する。しかしながら、すべてこうしたモチーフは、それが文学のたどってきた動きの家庭の行き着く窮極に成立したものでありながら、いっさいの感覚的継承を振り捨てるという点において、それ自身は文学と本誌的にそのあり方をことにするものであり、それゆえに、それら「文学」の総体に対する対決と否定を必然とするような性格のものである。 (p303)
書く当人が書かれたもの以上のものをもち、真実そのものがいかにあるかを知っていて、書かれた言葉の限界とその慰戯性を自覚している場合には、彼が書くものが何であっても、その人は「哲学者」と呼ばれるべきであり、これに対して、「書かれた作品以上に価値のあるものを自己の中心にもっていない人」、ひいては書かれた言葉の中に「何か高度の確実性と明瞭性が存する」と思い込んでいる人は、それぞれ書きものの性格に応じて「作家(詩人)」とか、「作文家」とか、「法律起草家」と呼ばれるべきである。(p306)
廣川は藤澤がプラトンの対話篇の特徴として描き出したディアレクティケーとミネーシスの結婚関係を見事に捉え返している。
生命を持ち、魂のうちに響きあう言葉〔…〕は、事柄をまともに知ることを意図して、ディアレクティケーの技術を用いながら〔…〕ふさわしい魂を相手に得て、たがいの精神の内部にかわし合うものであった。これこそ真の情熱に値する原物に他ならない。書かれた言葉がいかなるものであれ、原理上すべて模像、影にすぎないものではあっても、プラトンがその影像性を十分に自覚したうえで、詩や劇や弁論や論文の形式をふまず、あえて対話という形式を採ったのは、やはり積極的な意図からであったと思われる。対話・問答形式による書き物こそは、プラトンにとってあの「真の情熱に値する原物」 - 知性の領域においてかわされるディアレクティケー - におそらく最もよく似た模像であった。(岩波書店版 p187)
最後に、本稿が先日SPQRが投稿してくれた詩論に触発されて書かれているものだということを思い出しておこう。シェイクスピアのあのソネットもまた、プラトンと同じく言葉を非難しつつ言葉に自らの内面を託すものであった。SPQRも藤澤もこの点に着目し、この自己言及をどのようにとらえるべきなのかと問いをたてている。ここで面白いのは、言葉を用いて自分の想いを綴っていること、すなわち内容が言葉に縛られていることが、単純に内容に対する言葉の優位を示さないという点である。言葉を使う以上、我々は言葉のもつ限界から逃れることはできないだろうが、プラトンにおいては内容に対する姿勢こそが彼の言葉を救っている。SPQRが文章の最終段落を「そうではない」と始めたのは、プラトンとその希望を共有するが故だ。しかし、内容に対する姿勢は万能な免罪符なのだろうか。言葉の限界は、ロゴスの批判者である彼ら自身に一番痛切に自覚されてしまう。こうしてSPQRの論考と同じように、ここでも問題ははじめに戻ってしまうことになる。
ソクラテスの内的対話とホメロスのミネーシスの間でもがくこと。それが言葉に対する懐疑を持ちながらなお書き続ける者の宿命なのだろう。そのことを描き出したところに、SPQRの論考の特筆すべき美点がある。 (HRK)