鴨川日記

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2017年映画ベスト

 私淑する映画ファンの方がブログで「2017年映画ベスト」と題して感想をまとめていらっしゃった。読んでいるうちに、私もやりたくなってしまった。
 作品をどう楽しんだかについて語ることは必然的に自分語りになる。そういうものは書いても仕方のないと思ってきた。如何に作品のために語るかを自分なりに考えてきたつもりだ。しかし、今年は自分語りをしてきた。どうも自分が本来の考えからするとおかしいことをやっていると気付いている。早く折り合いをつけなければならない。一方で、こういう記事は今しか書けないとも思った。後で見返して苦々しく思えるのなら、それでいいのかもしれない。私は好きにする。君らも好きに読んだらいい。
 
1 牯嶺街少年殺人事件

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 2017年のベストは、1991年発表の台湾映画。本作は1960年代初頭の台湾を生きる少年・小四と彼を取り巻く人々を描く作品。小四と各々の人物との関係の数だけストーリーラインが存在するし、多くの登場人物には少年との関係に還元できないだけの奥行きが用意されている。これだけ豊かな脚本を統制するのは職人芸だと感嘆する一方で、自分で冠を被せておいていきなりその衣を剥ぐのもおかしな話だが、映画が終わった後も果たして物語がうまく終わったのやらふわふわしてしまった。端的に言えば、大きな軸である小四と彼の意中の人・小明との関係が他のストーリーラインに埋もれてしまったのだ。大作が故に、逆に全体としておとなしい印象を受けてしまった。

 それでは、どうしてこの作品をベストに据えたのかというと、他のどんな作品でも味わったことのない不思議な体験をしたからだ。本作はよく言われるように、暗闇を多用した画面を特徴としている。本作の冒頭では不良グループが夜の校舎を徘徊するし、雨の夜の場面では暗闇の中で乱闘が行われている。私は劇場でこの作品を鑑賞したのだが、その際、この暗闇が私たちを取り囲む暗闇に接触しこちらへ侵入してくるような気がした。不良たちの諍いを包む緊張感のある暗闇、雨の夜のひんやりと湿気を孕んだ暗闇。それを肌で感じた気がした。そのせいか、映画が終わる頃には、まるで私も彼らと同年代になって一緒にあの時代あの場所を生きているような気がしてくる。彼らにこの上ない親しみを覚えると同時に、旧友の知らない一面を覗き見るような気持ちで画面を見つめていた。「事件」があった時、自分はこういうつもりでその空間にいて、その後それをきっと友達とこう囁き合ったのじゃないかと勝手に空想が膨らむ。映画を観ているというよりも、別の高校生活を生き直す体験だった。この大作の内容を事細かに思い起こすことは難しいけれど、ただあの闇に触れたという感触が体に残っている。
 
2 タンナ

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 今年の新作ベスト。本作は2016年アカデミー賞外国語映画賞で本選選考に残ったが受賞には届かなかった。自身2度目となる受賞を果たしたアスガル・ファルハーディーの新作は代表作『別離』を超える出来栄えではなかったし、受賞が有力視されていた『トニ・エルドマン』も確かに面白くまた監督にとっても最高傑作だっただろうが人物の造形に頼った不格好な映画という印象がぬぐえなかった。そういうこともあり、本作が受賞しなかったのが残念で仕方がない。太平洋に浮かぶタンナ島の事件を伝える古典的でありながら対象に対する高い関心に支えられた傑作。
 私は周到に容易された脚本が好きだ。伏線を丁寧に回収したり、一度ある場面を挟むことで後の展開を自然に見せたりする脚本が好きだ。また、様々な言動や細部の演出に主人公の人柄や状況を見ていくのも好きだ。本作はこれらの点で優れていた。例えば、冒頭では、主人公の妹は母親の言いつけを守らずに窓から飛び出して遊びに加わってしまう。この場面は妹が御転婆な性格であることを教えてくれるだけでなく、彼女が遊びのために家族の注意をきかない場面が後で用意されていることも予感させる。実際、直後の場面で彼女は遊びに夢中になるあまり禁忌の場所に足を踏み入れてしまう場面が用意されている。上手に情報を詰め込んだ場面を上手に組み合わせていることが、本作の魅力だと思う。
 ところで、一つの対象に込める意味を少しずつずらしていくのは物語の定石だが、本作でもその手法がとられている。島民たちはそれぞれ背景とする部族や宗教は異にしているが、大きな山を抱く一つの島に暮らしている点では共通しており山に対して敬意を持っている。山はそうした人々の暮らしのあり方の象徴である。本作はこの山を何度も登場させ、自然の中にその場面に込められた意味を読み込んでいる。私には、山が笑うことは島民たちの暮らしの核が微笑みかけてくれるように見えたし、山の悲しみは島民たちの心の深いところから湧き上がってくるように思えた。そのように常に個々の場面が全体の暮らしや文化と結びついていたことは、島民たちが暮らしのあり方について考えるラストにこの上ない説得力を持たせていたと思う。
 
3 光と血

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 今年『光と血』ほど私の心を揺さぶった映画はなかった。ぼろぼろ泣いた。幸福なはずだった人生の喪失と再生という主題は如何にも私が好きそうだと分かっていたが、自分でもびっくりするくらい涙が出た。残念ながら、本作には色々と疑問を感じなくもない。例えば、編集や演出がだいぶあざとい。終盤ここで泣いてくださいとばかりに序盤の場面を繰り返すところは流石に萎えた。加えて脚本。例えばレイプという設定は(当然描かなければならない理由があるのかもしれないにせよ)ありふれているし、そこからレイプ犯への復讐に人生をささげるようになる光という人物もあまりに極端だと思う。正直傑作と呼ぶことはできないが、泣いたことを弁明するつもりもない。10年後も大好きだと言い張れる映画は、凡百の傑作ではないと思うからだ。
 本作の最大の美点は演者だ。私が出会ってきた日本のインディーズ映画は演者に魅力がないものも少なくなく、中には殆ど棒読みの女優が主演を務めている目も当てられない作品もあった。しかし、本作は演技に熱がこもっている。一生このまま忘れられないだろうと思わされる演技が山のようにある。登場人物たちがそれぞれの問題に真剣に取り組んでいるように見えるということは本作のような主題を扱う上で最も重要なことだと思う。
 眩いばかりの光も忘れられない。ふんわりと空間をつつみこむやわらかい光。静かな暗さの中を割くような白い冷たい光。必ずしも場面に合わせて考えられてもいないようで大味な印象に終わってしまったことは残念だったが、終盤に用意されていたカタルシスに私がまんまと乗せられてしまったのはそこに美しい光を見出したからだと思う。なお、この経験は、私の映画の観方に少なからぬ影響を与えた。単純に光の美しさに興味を持って映画を観るようにもなった。光が空間や物語の統制にどれだけ大きな意味を持つか教えられた。
 
4 ハッピーアワー

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 2015年公開の日本映画。私は本作を観る機会をずっと逃し続けてきた。結果として2年間待った。今年やっと鑑賞の機会を持つことが出来た。本作は4人の女性の友情と愛を描いている。ワークショップの企画から誕生し、主演女優4人が本作以前に演技の経験がないにも関わらず世界的な映画祭で高い評価を受けた。神戸を舞台であることも物語にとって重要だときき、是非関西にいるうちに観たいと思っていた。
 私はかつて『ブルーは熱い色』に、映画は観客の時間のデザインでもあると教えられた。物語の展開の仕方、そこに映し出される人々の様子を通して、観客にカメラの向こうに流れている時間に触れてもらうことが映画鑑賞なのだと思う。『ブルーは熱い色』をはじめケシシュ監督の作品では、物語の内容が作品の持っている時間と密接に結びついていた。本作もその類の作品だと私は思う。連続ドラマのようなゆったりとした時間の中を、独特の抑揚のないしかし統制のきいた会話で刻んでいく。これが本作のリズムだと思う。自分が普段生きているのとは少し違う、なんとなくほっこりさせられるリズムだと感じた。だからこそ、少し非現実的にも思える四人をゆったりとした気持ちで眺めることができた。そういう時間の流れ方の中でそういう関係の築き方の中で生きている人たちがどこかにいるのかもしれないとどこか納得させられてしまっていた。そういう作品を力のある作品と呼ぶのだと私は思う。内容が腑に落ちているわけではないが、どこかすべてが愛おしいと言ってみたくなる。そういう映画体験だった。
 ここで私が作品のリズムに着目してこの映画を愛することはそれほど外れたことだとは思えない。監督にもそのように映画を捉える意識があるようだ。監督はトークイベントの際にそのことに触れていた。第三部の冒頭で小説の朗読が行われる。短編小説が丸々読み上げられるように、監督はここにかなり時間をかけている。その裏で多少の動きはあるにしても、物語の進行自体は殆ど止まってしまう。抑揚を抑えた声でゆったりしたテンポで朗読が行われるので、人によっては眠たいパートだと思う。朗読会に集まった方と小説家役の女優の掛け合いなどはドキュメンタリーを観ているような気分になる。一方で、朗読会の後に打ち上げとして用意されている食事の場では、軽快なテンポで会話が重ねられる。物語の進行という意味でも、複数のストーリーラインがここで交錯する。こちらは如何にも物語パートという印象を受ける。監督が敬愛するカサヴェテスに倣い、作品の中に全く違う時間の流れ方を並べることで、観客に如何にも物語パートに移る打ち上げの場面にすんなりと入ってもらう効果があると説明されていた。
 
5 細い目

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 2007年発表のマレーシア映画。東京国際映画祭をはじめ、数度にわたって特別上映されてきた。今年は監督の遺作『タレンタイム』が公開されたことに合わせて、特別上映された。東南アジア映画に触れたことがなかったので、東京に顔を出した際に覗きにいってみた。『タレンタイム』も悪くはなかったが、『細い目』ほどの作品ではなかったのでこちらをこの位置にいれた。
 古典的な恋愛青春ドラマ、人と人とのふれあいを描くヒューマンドラマを通して、様々なバックグラウンドが錯綜する多民族国家の現状が描かれる。その意味でここに挙がっている作品の中では『タンナ』と近い。登場人物が真剣に生きている様子を優しいまなざしで描いていく。真剣に問題を扱いながらも爽やかさと優しさを失っていないところがすごいと思う。問題設定や国ごとの事情を鑑みると容易に比較はできないが、今年は『ダイアモンド・アイランド』『バンコクナイツ』と東南アジアを舞台にした映画に苦しめられたので、本作が輝いて見えた。家族四人が階段に並ぶ場面は愛おしかったし、二人の恋の行方にもハラハラさせられた。
 
6 タンジェリン

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 本作は東京国際映画祭で既に上映され、Netflixで既に配信されていた。今年はDVDの発売や劇場公開が行われた。トランスジェンダーの娼婦である主人公が刑務所から戻ってくると恋人が浮気をしているという噂を親友にきかされる。恋人に真相をつきとめるためにクリスマスの街を走り回るという筋。iPhoneカメラで撮影が行われたこともあり、躍動感が伝わる作品になっている。
 主人公の一途で不器用な人間関係が素敵だと思う。彼女が恋人を探して走り回り、浮気相手を引きずりまわす場面は、音楽も相まって高ぶる真っすぐな気持ちがよく伝わってくる。本作の見せ場でも、登場人物、特に主人公にこうした真面目さを感じ取ることができることは観客にとっては救いになる。本作で一番盛り上がるのは、登場人物たちが同じ場に集まり互いの秘密や言動を非難しあう場面だ。そこで、全ての人物が真面目にそれに対応しているわけではない。また、そこで垣間見える人々の生活や考えは擁護しがたいものも含まれている。その場面を真剣に観ることができるのも、その場面に素直に傷つくことができるのも、主人公の人柄を知っていることで、この場面の根底には登場人物の真剣さがきっとあるはずだと信じることができるからだと思う。ラストシーンは決して彼女が思い描くハッピーエンドではないだろうが、それでも私は涙を浮かべてしまった。
 
7 そうして私たちはプールに金魚を、

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 自分の育った街のせいか、私は「田舎」あるいは「都会」といったレッテルに敏感に反応する。今でも自分は「田舎」で育ったという自己意識を持っているし、そこに閉塞感や余裕のなさ、マンネリ感のようなマイナスイメージを読み込んでしまっている。この作品は、「田舎」を舞台に、少女たちの閉塞感と小さな反抗を描いた作品だ。オンラインで公開されていたので、何度も観た。出来がいいわけでは無いが、同じ物語に囚われてしまっている私にとって重要な主題だ。正直この主題やそこで行われる人間心理には辟易としていて、こうした作品に反応するように育ちたくもなかったが、分かってしまうのだから仕方がない。気持ちが分かり過ぎるが故に、私はこの作品のよい観客ではなかったと思うほどだ。いつかこの作品のよい観客になれたらと思う。
 本作は「自分の街が狭くて嫌いで、しかし自分はきっとそこから出ていくことはできないのだろう。そしてそれにそれなりの幸せを見出して死んでいくのだろう。まったく嫌になる」というだけの内容で、正直薄い。斜に構えた形で提示される「サービスカット」も、自分たちがしたことに対して話し手が妙に距離をとって語るのも、そうした自分とそのルーツに関わる鬱屈な感情の現れとして読むしかない。結局こうした屈折は自己愛の変形だ。私はきっとどこにも行けないのだと言いつつ、彼女は自分はきっとどこかに行けるはずだと信じている。その方が自分にとって幸せなはずなのに、しかし敢えて自分はここに留まるのだと自分を正当化しつつ逃げている。主人公が涙するラストシーンが証左だ。彼女の息苦しさがその自己愛によるものでしかないことの切なさに私は胸を打たれた。
 
8 ネルー

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 チリの詩人・ネルーダのヨーロッパへの逃走劇を描いた作品。パブロ・ラライン監督といえば、JFKの妻を主人公にした『ジャッキー』も今年公開の作品だが、私は本作の方が好み。
 『ジャッキー』では夫を失った彼女の浮遊するような感覚を表現するために多用されていたジャンプカットが、本作ではネルーダという詩人の気品と対応するだけでなく、観客を翻弄し物語の核心に誘うような効果をあげていると思う。一つの場面で場所を何度も切り替える演出は、面白い一方で、主人公がいる空間それ自体に対する監督の関心があまり高くないことの表れでもある。
 ナタリー・ポートマン頼みの『ジャッキー』よりも、脚本が凝っているのも魅力的だった。中盤で唐突に言葉の上で提示された構想がその後身体を得ていく過程は見事。その過程で観客を引き込み、だいぶあざとい終盤へと一気に駆け抜ける。ここまで書けばわかるようにかなり不格好だが、徐々に自分の中にある脚本の形が書き換えられていくような体験だった。ラストはそれを持ってこられたらイヤだなと序盤から思っていた通りだった。本当に悔しいが、素直にかっこいいと思ってしまった。
 
9 娘よ

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 日本で初めて公開されるパキスタン映画ときいて観に行ったが、思いのほかよくできていた。部族間のトラブルを解決するために、娘を望まぬ相手に嫁がせなければならなくなった母親が娘と一緒に逃走をするロードムービー。『マッドマックス 怒りのデスロード』とよく並べられるといえば、筋書は察しが付く人も多いと思う。
 父親が逃走に気付く場面の部屋に円を描くようなカメラの動かし方で、本作のレベルの高さは察することができた。その後の逃走劇の構成も力を感じた。
 本作は風景の使い方も印象的。一つ一つの場面にパキスタンの自然が溶け込んでいる。物語の核心部が語られる場面には感極まってしまい、今でもこの映画の題名をきくとその場面で主人公が見つめていた川を思い出す。ラストは少し弱いが、実話をもとにしていることを考え合わせれば十分練られたものであることは理解できる。
 
0 メッセージ

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 テッド・チャンの『あなたの人生の物語』の映画化。SF好きの友人は、原作の重要な部分を削り落としていて好みでなかったらしく、この位置に置くのがためらわれる。しかし、私は原作を読んでいない状態で鑑賞しいたく感動した。
 単純に本作の脚本が下敷きにしている人生観に胸を打たれた。彼らが辛いことも楽しいことも含めて生きていこうとする姿に心を掴まれてしまった。それが人生なのだなと妙に納得してしまい、、彼らがそうしたように自分も生きようと映画館を出ながら思った。文字にするとどうも恥ずかしいが思ってしまったものは仕方ない。正直脚本は謎解きゲームを楽しませたいがため余計な部分が多いと思うし、演出もそれが故の過剰さが目立つ。人を選ぶ映画ではあると思う。
 
 以上がベストテン。ちなみに、今年のワーストはダントツで『お嬢さん』。

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 原作『荊の城』を読んでいないので誰の責任かは分からないが、脚本が安っぽすぎて全く面白くない。色本で教育されて育った朝鮮半島の「深窓の令嬢」という下品な設定は如何なる手を尽くしても擁護しがたい。フェミニズムや植民地問題に関心がありますとでも言いたげな演出が目立つが、こういう言い訳めいた映画が一番嫌い。チャヌクお得意のどんでん返しは、もはやあざとさを通り越している。これをやっておけば観客は喜ぶのだろうと考えてやっているようにしか見えず屈辱的。また、彼女たちの初夜を描く場面はあまりに酷くて思わず声をあげて笑ってしまった。自身の代表作『オールド・ボーイ』で用いた近親相姦の場面よりもずっと下品で、この人はまだ下が撮れるのかと本当に驚いた。それでいながら舞台設定や小物、女優などで趣味良さそうに画面を取り繕っているのは、映画監督としてというよりも、人として愚かしいと思う。こういう映画が事もあろうに名のある映画祭に出品され、多くの人の目に触れたこと自体嘆かわしい。この映画を評価する全ての人にこの程度の駄作に騙されないで欲しいとお願いしたいし、監督には一刻も早く引退してほしい。一方で、主演のキム・ミニは来年鑑賞予定のホン・サンスの新作に出演しているのでそちらでの活躍に期待している。
 
 2017年最も印象的だったシーンは、『愚行録』より以下の場面。

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 私は『愚行録』を作品として評価する気はさらさらない。正直ほぼ全編退屈だった。ただ、カメラを見据えての自らの犯行を独白するこの一人芝居には、のめり込むような興奮を覚えた。この後に用意されている、彼女の子供が妻夫木聡演じる兄との間にできた子だと露呈する際のゾクッとするような演技も含め、抗えない迫力がある。私の中で本作は満島ひかりのアイドル映画以外の何物でもなくなってしまった。それくらい力のある女優だと思う。
 なお、この場面と、上でも指摘した兄妹の秘密を踏まえると、なぜ妻夫木演じる雑誌記者が一家惨殺事件の真相に迫る記事に拘ったのかについて、ある邪推がたつ。それは妹が犯したこの犯罪の真犯人を探る中で、妹の名前を挙げた関係者を殺害するためだという説だ。作中では兄と妹の秘密が露呈される場面で、妹は「秘密って大好き」という台詞でそれを暗示している。当然この「秘密」は近親相姦のことだが、ともに親から虐待を受けていた兄妹の密接な関係をここに読み取ることができる。ここで果たして彼は本当に真犯人が妹だと知らなかったのかという疑問が頭をよぎるのだ。この疑問に素直に耳を傾けるのであれば、作中すっぽりと省かれている彼の仕事へのモチベーションの動機に説明がつく。実際、妹の名前を挙げた大学時代の同級生は、彼によって殺害されている。ここで彼が罪を免れているのも、最初から殺すつもりだったと考えれば都合がいい。また、この説明は、私の中では彼の人物造形にも合致しているように思える。さらに言えば、事件の被害者の大学時代の恋人が真犯人を知っているとして連絡をしてくる場面も少しゾッとした気持ちで振り返らねばならないことになる。正直くだらないと思うが、こうした読みがそれほど外れてもいないのではないかと思ってしまう程度の脚本なので免罪されると信じている。
 
 今年は新作を中心に映画に触れてきたが、来年はヨーロッパ映画をもっとよく知るために旧作に挑戦したい。最近はヴィスコンティベルイマンに夢中なので、彼らの映画からぼちぼち観ていきたい。
 
 ところで、このブログは友人とその場のノリで始めたものだが、順調に運営できていると思う。来年はある程度まとまったエッセイ調の記事を書くだけでなく、どちらかといえばそこに辿り着く過程に属するような文章で公開に値するものが作れたらよいと考えている。来年もよろしくお願いします。