鴨川日記

本の紹介を中心に活動しています。

『シェイプ・オブ・ウォーター』

NOT For Me。金獅子賞受賞の報に期待を膨らませていたがために、うまく楽しめなかったのは残念極まりない。アカデミー作品賞受賞。清掃員であるイザベラと、施設に収容されている半魚人との恋愛を描く。
 『美女と野獣』『シザー・ハンズ』など従来の異種婚姻譚では内面の美しさに女性が惹かれていくものも多いのに対し、本作ではむしろ外見の美しさが女性の恋愛感情を掻き立てている(イライザは彼を一目見て惹かれている)。これは少し思い切った戦略だと思うし、個人的にはこの戦略が鑑賞の大きな障壁となった。外見が恋愛の中心に据えられた場合、観客が登場人物の外見をどのように思うかが、観客が二人の恋愛に夢中になれるかと密接に関係するように思われる。イザベラの外見の評価はともかく、未知の生物の外見を観客が恋愛対象として魅力的だと思うかどうか……個人的には、異種婚姻譚には向かない方針だと思う。
 もっとも、この戦略は「野獣が王子様に戻らない『美女と野獣』を目指した」という監督の覚悟として受け止めるべきなのだろう。また、上述の楽しめなかった理由はいちゃもんの範囲を出ないと思われる。外見だけを重視する「軽薄」な恋愛と対置すれば、外見よりも内面を重視する恋愛は「真剣」に受け止められるかもしれない。しかし、こうした立場は男性にとって都合の良いストーリー構成ともいえる。例えば、『シザー・ハンズ』で、男性主人公は奇妙な容姿をしているにも関わらず、女性主人公は街で評判の美人として描かれている。外見よりも内面を重視した恋愛という立場は、時に男性にとってのみ都合の良いものになりがちである。私も女性が美人に設定されているせいで恋愛観に説得力を感じないという理由で『美女と野獣』も『シザー・ハンズ』も好きな映画ではない。この点、本作では女性が冴えない女性として描かれるだけではなく、半魚人はその外見の神々しさも強調されている。このことにより、そもそも奇妙な容姿/美しい容姿の二分法が、従来の作品が前提としてきたものなのかを問い直す構成になっているように思われる。この問いかけは、外見の魅力が分からなかったから作品についていけなかったという感想と関係していると思われる。つまり、私自身はこの問いに対して、従来の作品で前提とされてきたものという回答を感覚的に行い、映画の描こうとしたものとディスコミュニケーションに陥ってしまったのだろう。作中で、イザベラは二人の関係性をこのように語っている ——— When he looks at me, he doesn't know how I am incomplete. He sees me as I am. 
 何はともあれ、鑑賞している最中の私は、二人の恋愛にやや置いてけぼりを喰らってしまっていた。それ故に、二人の恋愛が運命づけられたものであることを補強する要素に随分と助けられた。特に、イライザの設定に工夫が見られたのが良かった。声帯に障害を抱え話すことができないこと、冒頭で「声を無くしたプリンセス」と紹介されていること、川に捨てられているところを発見されたと紹介されていることなどから、イライザと人魚姫の繋がりが想起される。イライザの首筋に引っかき傷があるのも、鰓を模すための設定だろう。イザベラが実際に人魚であるかどうかは別として、彼女が人魚と関連付けられていることは疑いなく、半魚人と恋に落ちることを自然に感じる上でこの設定が果たす役割は大きいように思えた。この点に関連して、イザベラと半魚人の恋を描く際に「水」が重要な役割を果たしている。半魚人が泳ぐ研究室の水槽から、イライザが浸かっているバスタブ、さらに卵を茹でるガラス製の鍋へと流れていく「水」に纏わるシークエンスが非常に印象的(茹で卵は二人の恋愛にとって象徴的な役割を果たす)。ここでは、水を通してイライザの生活に彼とのつながりが感じられるようになってきたことが示されている。なお、このシークエンスの中にバスタブが挿入されていることは非常に重要。映画の冒頭では主人公が朝バスタブで日課である自慰行為を行う様子が描かれているが、この一連の映像にバスタブが挿入されることで彼の存在が性的に意識されていることが暗示されている。このことを受けて、彼との性交渉を描く場面でもバスタブが設定に絡んでくる。(HRK)