鴨川日記

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『四月の永い夢』


 中川龍太郎監督は、東京国際映画祭に出品された『愛の小さな歴史』『走れ、絶望に追いつかれない速さで』は鑑賞済みだが、どちらも好きな映画ではない。『愛の小さな歴史』に関しては端的に面白くなかったし、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』も(監督の実体験に基づくとのことだったのでこういう言い方は失礼だろうが)ありふれた筋書で、あざとさのようなものすら感じてしまった。しかし、全く記憶に残らなかったと言うと嘘になる。2本とも、失われた過去を乗り越えられない若者が今を生きるために過去に向き合う話だが、この筋書自体は嫌いではない(私が 2017年映画ベスト と題した記事で『光と血』を高く評価していることを見よ)。特に、一方で喪失を乗り越えなければならないものとして描くのではなく、他方でそこに耽溺すればよいものでもなく、むしろ向き合うことで今をより良く生きることができる源泉として描く姿勢は好みだった。気を遣った言い方をすれば「もう少し洗練されれば良いのに」というのが、彼の映画について思っていたことだ。そして、「この作品は洗練されているのでは?」というのがトレーラーを観た時点で、本作に持ったイメージだ。主演の朝倉あきが喪服を着て大写しになったポスターも印象的で、正直かなり期待していた。モスクワ映画祭で2部門受賞。

 結果としては、『四月の永い夢』も Not For Me だった。致命的だったのは、最大の見せ場で頭に「?」が浮かんでしまったこと。主人公・初海は元カレの死を引きずっており、そのショックから音楽教師の職を辞している。終盤、元カレの実家にやってきた初海は、彼の母親と二人で彼のアルバムを眺めている時に、突然「実は彼が死ぬ四か月前に別れているのです」と告白して涙を流す。これをきっかけに彼女の中で止まったままになっていた時間が動き始めることからも、これがこの映画にとって最大の山場と考えてよいと思う。しかし、何故「彼が死ぬ時まで恋人だったわけではなかったこと」を告白することで彼女が楽になるのかはとっさに推測できなかった。恋人としての彼を失ったと感じていたが、彼とはもう別れていたと告白すること、つまり彼の恋人ではない自分自身を取り戻すことで彼の死に対する感情に整理をつけたというのが恐らく正解に近いところなのだろうが、クライマックスを理解するために与えられている情報、あるいはクライマックスを予告する助走などの配慮が少なすぎる気がした。
 そもそも鼻につく無理やり感満載の設定が多い(例えば、あんな古風な部屋に住んでいる人がいるのか…?)のだが、演出も多く好みではなかった。手紙の文面をそのまま画面に表示する演出は、映画で、少なくとも山場でやることではないと思う。映画の冒頭に置かれたナレーションは文章が小説のようで苦手だが、終盤で同様の演出が繰り返される点は魅力的。冒頭では喪服姿だった彼女が終盤では明るい衣装に身を包み、彼に宛てて手紙を読み上げる。しかし、何故終盤では冒頭同様の構成を採用しなかったのか……細かく切り替えて彼女以外の人物を見せるのではなく、彼女だけに絞ってどっしりと見せた方が好ましかったのではないか。絶望的にセンスがないと思う。なお、初海に想いを寄せる男性が初海に教えてもらった曲をリクエストして、初海がそれをラジオできいて笑う場面でこの映画は幕を閉じる。エンドロールが映画の続きになっている(つまり、初海のためにかけられた音楽を初海が新しい恋を感じながら聴いているということを意識しながら聴かなければならない)という演出は好み。彼女が「一人で音楽を聴いていると沈んでしまうこともあるが、ラジオで聴くと勇気づけられる」と言っていたこともこのラストに対する伏線である。

ただし、エンドロールが本編の続きになっているという演出はありふれたもので、例えば『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の例は有名だし、2015年にカンヌ国際映画祭に出品された『アクエリアス』も記憶に新しい。(HRK)