鴨川日記

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読書ノート

牛田徳子『アリストテレス哲学の研究 - その基礎概念をめぐって』(創文社, 1991) 

アリストテレス哲学の研究―その基礎概念をめぐって

アリストテレス哲学の研究―その基礎概念をめぐって

 

 以前より、何かを論じるだけでなく「過程に属するもの」の中から特に印象に残ったものを公開する場としてもこのブログを使いたいと思っていた。最近論文がうまく読めないとずっと悩んでいたが、かつて楽しみとして読んだ論文の読書ノートでよく書けているものがあった。答えは自分の中にあったと気付くと同時に、これは公開するのに適当だろうと思い、この機会に公開しておく。NICHICAと『形而上学』を読んでいた頃のもの。また読書会をやりましょうね。

 第一章では実体概念を扱う。牛田は「実体」を筆頭とする範疇の不完全枚挙がアリストテレスの全著作中に数多く登場することに着目する。このことから「範疇の第一位にあるもの」という実体の標識は無視できない。「範疇」という語はギリシア語において「述語」に連なる。このことから、「実体」は述語の一種の分類の第一項であるとみなすことができる。一方で、『範疇論』*1 に基づき、実体は主語的な性格のものであるとする根強い解釈がある。しかしながら、実体が主語的な性格のものだとしたならば、それは述語という原義を持つ範疇に入らないことになり、範疇の第一位は空位になってしまう。この点、実体を主語的にとらえる論者は『範疇論』において実体(ウーシア)が第一実体と第二実体とに区別されたことに着目する。第一実体とは個別的なものであり、第二実体は実体の種や類のことを指す。つまり、第二実体は第一実体に対してそれの普遍主語とみなされる。この第二実体を範疇のなかに含め、一方で主語的な第一実体を範疇の外におくのである。第一実体と第二実体という呼称は『範疇論』以外の著作には見出されないが、ここで示された実体の二重性格は他の著作の解釈にも根を下ろしている。範疇の第一位にあるものはウーシアの他、「トデ・ティ」(「或るこれ」と訳す)と「ティ・エスティ」(「何であるか」と訳す)とも呼ばれる。D.Ross は『形而上学』ゼータ巻の冒頭に登場するこの二つの呼称を次のような実体理解の中で位置づける*2 。すなわち、「何であるか」は事物の中にあって最も真にあるもの(=普遍的本質)であり、「或るこれ」はいかなるもののうちにもなく、それ自身によって存在するがゆえにもっとも真にあるもの(=個物)であると。これを図式的に整理すると以下のようになる。

実体 ー 第一実体 主語 個  基体 或るこれ

   ー 第二実体 述語 普遍 本質 何であるか

 牛田はG.R.G.Mure の議論を紹介しながら、こうした「実体」概念の自家撞着性を問題とする。第一に、個別的実体が主語の座におかれるなら、それはそれ自体としてなにものでもなくなる。つまり、特定のものからその「何であるか」を差し引いた場合、そこに残るのは「これ」と指さされるほかはない無名の「もの」だ。これをD.Ross が「それ自身によって存在するがゆえに真にあるもの」と評価したのは、誇大妄想ではないか。第二に、『範疇論』がのちになって「第二実体」の概念に重大な修正を行っていることも注目に値する。つまり、種とか類は、実態の質や性格を表すことによって実体を限定しているとされるのだ。これはアリストテレスの他の著作に見られる「普遍実体否定説」と明らかな食い違いを生じさせる*3 。このことは、「第二実体」さえもが第一の範疇の座から滑り落ちてしまう結果になることを意味する。以下では、上で見てきた「実体」が主語的か述語的かという問題について、論理的な検討がなされる。

 はじめに、牛田は第一の範疇の呼称に着目し、これが実体の主語的な解釈を支持するかを検討する。まず、アリストテレスが複数の範疇を列挙している箇所を用い、そこで用いられている第一範疇の呼称の種類と頻度数を調べる。この際、列挙される範疇の数と種類は流動的であるが、呼称から判断して、実体と非実体の区別は確定的になされている。第一範疇の呼称のうち「ウーシア」「トデ・ティ」「ティ・エスティ」についてその単独での使用の頻度数を見ると、全著作を通して「ウーシア」は16か所、「トデ・ティ」は21か所、「ティ・エスティ」は18か所である。これら三呼称は同様に実体を指すに足る市民権を得ていると言える。このことから、『範疇論』で区別された「第一実体」と「第二実体」に対応するような実体の呼び方の区別は、他のほとんどすべての範疇列挙の箇所には見られないといえる。次に、牛田は「トデ・ティ」と「ティ・エスティ」が現れている場合に着目し、この二つの呼称が文脈の中で主語的ないし述語的に用いられているものを探す。この結果、「トデ・ティ」は主語的にも述語的にも、「ティ・エスティ」は述語的に用いられることが分かり、また述語的に用いられた「トデ・ティ」は「ティ・エスティ」と同じ扱いを受けることができるとする。従って、「トデ・ティ」が常に主語的に用いられるとは限らない。最後に、牛田は第一範疇の呼称として上で扱ったもの以外に疑問詞「ティ」と不定詞「ティ」が同じ用法を担うことを紹介する。その上で牛田はこれらを「トデ・ティ」「ティ・エスティ」との関連で検討する。「トデ・ティ」は指示詞「トデ」と不定詞「ティ」が組み合わされているが、不定詞「ティ」がしばしば省略されることから「ティ」を一種の不定冠詞、「トデ」を指示代名詞とみなしてよい。また、「ティ・エスティ」は疑問詞「ティ」と動詞で組み合わされているが、動詞が省略され疑問詞が単独で用いられることがある。従って、実体範疇の呼び方は、指示的な「トデ」と疑問詞的な「ティ」と不定的な「ティ」の三種類に整理できる。このような指示的、疑問詞的、不定的な範疇の呼称は「実体」の他にも「性質」と「分量」においても確認されることから、三様の呼称はただ範疇を指し、それぞれは語の意味機能(指示的であるか、疑問詞的であるか、不定的であるか)においてのみ差を有すると解される。従って、実体呼称に関する限り、「実体」を主語的に解釈する十分な典拠はみあたらないとされる。

 続いて牛田は、A.N.Whitehead の実体概念理解を批判する。彼は実体は属性を担う基体でありながら、その属性によって記述されなければそれ自体あることができないようなものであるとした。このように実体と属性の関係を相関的に捉えることは、実体が属性述語の基体であることと、実体がそれ自体であることを同一視することを意味した。しかし、そのように解すると、実体が属性Fをもつとき、「FであらぬものはFである」という明らかな矛盾が生じる*4 。従って、実体がそれ自体であることと属性述語の基体であることは混同されてはならない。また、牛田はこの実体と属性の関係をアリストテレスが言い表した箇所を整理し、実体に対する属性の依存関係が明らかにする。すなわち、実体はそれ自身以外の何物にもよらずにそれ自体であることができるものである一方、属性はそれ自身以外のなにものかによってそれであることができるものだ。ところで、以上のように実体と属性の関係を理解することが、実体の主語的性格について理解する鍵になる。アリストテレスの著作には「実体は他のものについての述語にならず、かえって他のものがそれについての述語になる」と類似する表現が無数に見出される。ここに示されることに従えば、実体は主語的性格をもつもので、実態にとって「他のもの」は存在しない。一方で、属性は実体であるところの「他のもの」にかかわる。このことから、ここにいう「他のもの」とは、「当のもの自身以外のもの」という意味だとわかる。さてここで、実体にとって「他のもの」が存在せず、従って実体が「他のもの」の述語にならないのは、実体が自ら以外のものであることなく、まさにそれであるところのものであるからだ。この根拠なしに上に挙げた有名な表現を理解するのであれば、実体概念にとっては破壊的なことである*5 。そこで、牛田は先の有名な表現では実体がそれ自身についての述語になることが妨げられていないことに着目し、この問題点を克服する。「他のものについて述語になる」という述語の用法に留まる限り、実体は主語的性格のものであるが、「他のものについて」という限定は実体の自己規定性を前提とするものだということだ。このとき、実体は第一義的に自己述語的な性格を持つのではないか。

 牛田は『分析論後書』から「自ら自身についての述語になる」という表現を含む部分を検討し、「自ら自身についての述語」「「何であるか」を表す述語」「それ自体とは異なるものではなくそれと言われるまさにそのものと言われるもの」はそれぞれ等しく同じものを指しているとする。また、このうち、「何であるか」「それ自体とは異なるものではなくそれと言われるまさにそのものと言われるもの」は実体表現である。従って、「自ら自身についての述語」とは「何であるか」「まさにそれであるところのもの」を表す述語である。なお、文法的連関から「何であるか」と「まさにそれであるところのもの」は同じ意味で使われる。次に、牛田は「まさに或るこれであるところのもの」(『形而上学』1030a3-6)という表現に着目する。これは先の三つの表現と同じものを指している。「まさに或るこれであるところのもの」という表現は「まさにXであるところのもの」のなかに、実態の呼称である「或るこれ」が述語として挿入されたものである。 ここで牛田は『形而上学』ゼータ巻にみられた「実体的疑問文」を検討する。「或るこれは、何であるか」はいまや「或るこれは、まさにそれであるところのものであるか」と読み替えることができる。そして、この疑問文に対する回答は「或るこれは、まさに或るこれであるところのものであるか」という肯定文が対応する。この肯定文は実体が自己の述語であることを我々に理解させる。ここまでくれば、「まさにXであるところのもの」という表現が当然注目される。これは、Xであるものがあるとすれば、当のXそのものと、Xであるそのことが一致していることを意味している。「それぞれのものは自らの実体にほかならないと考えられ、そして本質はそれぞれのものの実態であると言われる」(『形而上学』1031a17-18) はこのことを表している。ここにおいて、実体はそれぞれのもの「それ自体」でありかつ「本質」でもあるようなものとして構想されている。このすぐあとで、アリストテレスプラトンイデアについて言及している(『形而上学』1031b11-15)。アリストテレスの実体概念はプラトンイデア概念から影響を受けたものであることは決定的である。プラトンイデア的表現「それぞれのものがまさにそれであるところのもの自体」「まさにそれぞれのものであるところのもの自体」とアリストテレスの実体的表現は構文と内容において一致しているのだ。

 第一章第五節は、第一章においては補論であると同時に、第三章への導入という役割も果たしている。このことから、第三章に言及する機会があれば、そこで触れたいと考えている。

 

*1 牛田はこれを偽作とみなす立場に立つ。第六章第二節参照。

*2 例えば、” なぜならわれわれは「これはどのような〔性質の〕ものか」と言えば、「善いものだ」とか、「悪いものだ」と述べて、「三ペーキュスある」とか、「人間だ」とは述べないが、「何であるか」と言えば、「白いものだ」とも、「熱いものだ」とも述べないで、「人間だ」とか、「神だ」と述べるからである ” (『形而上学』1028a10-18 以下、特に断わりがない場合を除き牛田の引用を孫引き)。この引用にみえる「何であるか」という問いは、「これは何であるか」と読み替えることができる。これは「或るこれ」を主語に、「何であるか」を述語に見立てて出来上がっているかのようにみえる。これを「或るこれ」と「何であるか」がともに実体を指しながらそれぞれ主語的または述語的に使われているとする見方に当然牛田は距離をおくが、ここでこうした疑問文を「実体的疑問文」と名付けている。

*3 本書第六章第二節参照。

*4 牛田はこのことをパルメニデスの「存在」概念に関するアリストテレスの記述に基づき、アリストテレスの代弁者としてこの矛盾を指摘する。つまり、「存在」が「まさに存在であるところのもの」を意味しないのであれば、「存在」はなんらかの基体に付帯する属性述語でなければならない。そうすると、その存在述語が付帯するところの当の基体自体は存在ではないことになる。従って、存在ならざるものが存在であることになる。パルメニデスは「あらぬものがあることはけっして証しされないであろう」というのであるから、これは拒否されるべき結論である。なお、このことから、本文においてこの指摘の後に続く「従って」以下の一文は、牛田がそうする通り、アリストテレスの立場を示すものだとして問題ない。

*5 G.R.G.Mure の批判を参照。また、『形而上学』1029a10-12参照。

 

 私は特に検討を行うこともなく「常に述語される」という主語的性格のみをもって実体概念を理解していたので、冒頭で範疇の語義から実体概念の述語的性格が指摘された時点で自らの理解が一面的なものに過ぎないことに気付かされた。第三節以降の記述には自らの理解が正しくはどのような意味だったかを教えられた。これらにより、漠然と感じていた実体概念のブレをある程度クリアに把握することができるようになった。また、その内容が示される過程では、論理とテクストが両輪とされており、哲学史研究のひとつの理想というような印象を受けた。

『天国はまだ遠い』

 2015年、濱口竜介監督の長編『ハッピーアワー』が映画ファンで話題となった。一般参加者を中心にしたワークショップを母体に制作されたこと、三部構成で5時間以上に及ぶ大作であること、そして何より演技の経験がなかった主演女優4名がロカルノ映画祭で高く評価されたことが注目された。私は2017年に鑑賞の機会をもち、今でも大切な作品だと思っている。たっぷりとした時間を生かして登場人物の様々な側面が描かれ、ままならない中を生きようとする登場人物たちを描こうとする姿勢に好感を持った。設定の強引さはやや目だったが、その人となりがしっかりと描かれているからか、自分の知らないだけで世界にはきっとそういう人がいると受け止めてしまう。面白い映画だなと思った。今年濱口監督の『寝ても覚めても』がカンヌ国際映画祭に出品され、名実ともに日本映画界の未来を背負う存在となった。ここでは、『天国はまだ遠い』の感想を残しておく。

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『天国はまだ遠い』は次のような映画。物語は、男・雄三はアダルトビデオの編集を仕事としている場面から始まり、それをそばで少女が眺めている姿が写される。雄三のもとに、五月から連絡が届く。彼女は、かつての高校の同級生で在学中に殺人事件に巻き込まれて亡くなった女子生徒・美月の妹である。五月は映画学校の卒業制作として、美月の関係者へのインタビューをもとに、ドキュメンタリー映画を作ろうとしている。雄三が共に暮らしている少女が美月の幽霊であることが二人の会話から明かされ、彼女の言葉を受けて男はインタビューに応じることにした。
 撮影当日、カメラを挟んで雄三と五月が座る様子が五月側から写されるという画面構成。つまり、雄三を撮影する五月の立ち位置にカメラが置かれる。この時、美月は部屋にいる設定だが、画面から外れている。実は男は生前の美月とはほとんど関わりがなかった。五月の意図は、雄三が美月の死後に美月の名で男子生徒に告白をした背景を聞き出すことにあった。すると、雄三は美月の霊に憑かれていて今まで一緒に暮らしてきたと説明する。そして、霊媒師のように美月として、五月に語りかけ始める。五月はこれに半信半疑で美月として対応するが、幼い頃の話の齟齬などから、からかわれたと感じて激怒する。しかし再び男が美月として五月に話しかけたとき、五月は彼に美月に対する想いをぶつけ、二人は抱擁し合い、五月は泣きじゃくる。二人が抱き合うのをやめ、男が「よい画がとれたんじゃない?」と声をかけると、五月は「使えるわけないでしょ」とこれに返す。五月と別れた帰路で彼は美月に唐突に恋愛感情を告白し、雨の中で二人が並んで家路につく。「天国はまだ遠い」と美月のナレーションで映画が終わる。

 30分足らずの作品で異様な世界観をうまくまとめきった傑作だと思う。クライマックスにあたる雄三と五月との会話において、非常に難しい演出をしている。
 この映画の前半、つまり、雄三と美月との生活の描写において、また五月と雄三が初めて出会う場面において、美月は幽霊として存在しているものとして描かれる。「男に幽霊が憑いている」という設定が、幽霊の姿をはっきりと写すことで示されている。
 この前提がドキュメンタリー映画の撮影の場面では崩れる。まず、美月が画面にほとんど登場しない。そして、五月は美月がいるという世界観を共有していない。例えば、雄三が自分に美月が憑いていると説明したことを悪意ある嘘だと受け止めて屈辱的だと思っている。
 このことにより、観客は、「男に幽霊が憑いている」という前半の理解を相対化して、「男が幽霊が憑いているという妄想を信じている、あるいは幽霊が憑いていると嘘をついている」という話なのではないか?と疑わざるを得なくなる。この線をなぞるように、五月が雄三にからかわれたと憤り「どうやって(美月を騙るために)私やお姉ちゃんのことを調べたの?」と問い詰めると、「今の時代調べる方法はいくらでもある」と男は返事をしている。
 しかし、五月には真実の確かめようがないように、観客にとってもどちらの物語が正しいのかははっきりとしないまま映画が終わっていく。もちろん、仮説を立てて解釈を進めることはできるが、物語は美月が「いる」とか「いない」とか、つまり男は「幽霊が憑いている」のか「幽霊がいるという妄想に憑かれている」のかという疑問に答えを出すところとは別の次元で進んでいるように思える。むしろ男に「幽霊が憑いている」のか「幽霊がいるという妄想に憑かれている」のか分からないことこそこの映画の肝であるように感じた。
 五月は美月の幽霊が男に憑いているという話を疑っている。「使えるわけないでしょ」という彼女のセリフが示すように、彼女は美月の幽霊がいるという話を心のどこかではばかげた話だと思っている。しかし、一方で美月に想いを伝えたいという気持ちも持っている。そして、五月は結局この気持ちに身を委ねる。つまり、雄三を美月として扱う。このように、彼女は信じたくないという気持ちと共に、信じたいという気持ちも持っていて、その狭間で揺れ動いている。これは「男に幽霊が憑いている」のか「男は自分に幽霊が憑いているという妄想に憑かれている」のか答えが出ないからこそ成立する状態だ。分からないからこそ感情の高ぶりにまかせて、自分の理性に反した行動をとることができる。
 観客もこれを追体験させられる。雄三の話の真偽を五月の側に立って(まさにカメラがそこに置かれたように!)探るからこそ、五月がのめり込むように美月への想いを語り男を抱きしめる場面にも、その後五月が自分の行動に戸惑い自嘲する場面でも、寄り添うことができる。

 さて、作り手の側に立てば、これが如何に大変な作業かがよくわかる。「幽霊が男に憑いている」ことを疑いもしない観客に、男は「幽霊に憑かれている」のか「幽霊が憑いているという妄想に憑かれている」のかという問いを突きつけながら、しかし観客にその問いの前で宙づりになってもらうことで初めて、五月の感情の機微を観客に読み取ってもらうことができる。この点、30分ではさすがに不十分だったようにも思われるが、よく考え抜かれていた。
 まず、観客に「幽霊が男に憑いている」ことを信じさせる仕方が上手だった。前半部では美月が基本的に常に画面に写っている。中盤になるまで彼女の正体が分からないため、観客は「彼女が誰なのか」に疑問を持っている状態になっており、「彼女は男に取り憑いた幽霊である」という説明がその疑問に対応しているため、観客はその少し変わった設定を受け入れることができる。また、美月が幽霊であることを明かされる場面は、五月と雄三との長尺で動きのない会話劇の直後であるが、この会話劇は設定に重きが置かれ、物語の進行が一旦止まっているために観客は刺激、つまり物語の具体的な展開を欲している状態に置かれる。従って、美月が幽霊だという物語の根幹にかかわる動きを観客は歓迎しやすい状況に置かれているのだ。さらに言えば、この場面は初めて美月にセリフがあてられる。それは雄三を口悪く罵るものであり、ここに現在の美月の人物像が示される。このように、ここで美月に関する情報が一度に明らかになることで、幽霊であるという設定が相対化され受け入れやすいものになっている。
 五月が露骨に疑うので「いる」か「いない」かの問題化自体は特に問題がないが、その問いの解答が不可能であり焦点は別の場所にあると観客に悟らせるのは限界があったかと思う。私としては、話がごたごたしていく様子は、五月自身自分の行動をうまく制御できていない印象と重なって好印象だった。

 時間がとれておらず、未見なのだが、『寝てもさめても』に期待している。(HRK)

朝日新聞の誤訳を糾弾する

「朝日新聞 社旗」の画像検索結果

昨日(2018/10/16)付の朝日新聞の記事を見ていたら,かわいそうなくらい馬鹿な誤訳に思わず鼻で笑ってしまったので、それを記事に書こうと思う。

その記事とは,米大統領、失踪記者巡り国防長官をサウジへ ならず者関与示唆」とかいうもの。

 これはどうやらいくつかのロイターの記事からまとめた日本語訳のようなのだが、この記事を読んでみると、先日のサウジアラビアの記者失踪事件について、トランプ大統領が「ならず者の殺害者が関与している可能性もある」と言い、それを受けてとある民主党議員が「『ならず者の殺害者』という馬鹿げた見解にサウジは同調するだろう」と批判ツイートをしたなど、「ならず者の殺害者」というフレーズが目に着く。しかし、「ならず者の殺害者」が云々と言われたところで、何が何だかよくわからない。だれもが、「それ、誰やねん!?」と突っ込みたくなるだろう。

その上常識的に考えて、普通新聞の見出しに「ならず者の関与」なんて変なフレーズが踊るだろうか? いや、そもそも人殺しとはすべからくならず者のなせるワザでは無いのか? となると、「ならず者の殺害者」など、同新聞社の天声人語同様、何か言っているようで何も言っていないのと変わらない。何が何やら分からないのだ。

さて、答え合わせといこう。以下にロイターの元記事の一つのリンクを貼っておく。

www.reuters.com

ならず者の殺害者」とはこの元記事を見るにトランプ大統領の "I sounded to me like maybe there could have been rogue killers. Who knows?"*1という一昨日のコメントから訳したものだろう。確かに "rogue" は直訳すると「ならず者」だし、北朝鮮みたいな国を "rogue state" 「ならず者国家」と言い習わす。*2したがって、自分では英語ができると自惚れている(だろう)朝日新聞の海外特派員か誰かが、 "rogue killers" を「ならず者の殺害者」と直訳したことは容易に想像がつく。だが、そもそも "rogue" は名詞である "killers" の前に置いてあるのだから、常識的に考えて形容詞として解釈すべきだ。そして形容詞の "rogue" の意味は、インターネットの無料辞書にさえ乗っている。辞書くらいきちんと引いてほしいものだが、勉強不足の朝日記者のために代わりに載せて置いてあげよう。以下の引用はアルクの「英辞郎」からである。

rogue

【形】

  1. 〔動物が凶暴で〕群れから離れた
  2. 〔人が孤立して〕自分勝手に行動する、面倒を起こす

 ここでは2の意味で解釈するべきだろう。ドナルド・トランプ大統領が言いたかったのは、要するに「サウジ政府の意向と関わりなく勝手に行動した奴らが失踪した記者を手にかけて殺したのかもしれない」、ということだ。こう読まないと、なぜ、このトランプの「馬鹿げた見解にサウジが同調する」(某民主党議員)という批判があるのかがわからない。ちなみにその理由とは、朝日の記事の後半にも一応きちんと書かれている通り、サウジアラビア政府にとって同政府が関与していないという見方は、つい先日にトランプから「サウジが失踪に関与してたらサウジ潰す」(意訳)的な脅迫をされていたので、願ってもないものだからである。ああ、悲しいかな、ここら辺の事情を実はよく理解しないままに記事を訳していたことが、透けて見えるのだ。

この日本を代表する全国紙の残念な誤訳は、同紙の記者が英語がわかっていなかっただけでなく、政治的文脈にさえも疎いままに記事を書いていたことの証左に他ならない。普段から「トランプは馬鹿」(意訳)的なことを繰り返し書いてきた朝日新聞が、その馬鹿なトランプ大統領の言葉を理解できなかったというところに、この新聞社の悲哀がある。このブログ『鴨川日記』もネットメディアであるから、既存の新聞がネットより質が低いという流行りの言説も、あながち間違いなどではないのである。*3

 

SPQR

*1:訳すると「私見では、多分一匹オオカミ的な殺し屋たちがいたってのもあり得るように思われるが、一体誰に真相がわかろうか?」くらいになる。

*2:ちなみにこれも後述の理由により誤訳と思われる。

*3:ちなみにこの記事を書いているSPQRブルジョワ朝日新聞よりも左翼だから、そこのところは誤解しないでいただきたい。

The flower of love fades before love fades

(もうだいぶ前に勉強ついでに書いてみたルネッサンス趣味の詩の習作をメモした紙切れを,今日本棚の整理をしていたらふと見つけてしまった。さして文学的価値などあろうはずも無く[まず今日にあってフェミニズム批評に耐えるものではない],出すべきところもない。とは言え,このまま眠らせてしまって永遠に忘れ去られるのもかわいそうだ。そう言うわけで,インターネットの海に漂流させることにした。英語ができる諸兄は,不明点や間違いがあったら指摘してほしい。)

 

The flower of love fades before love fades;

The nectar of friendship anon turns sour.

Therefore, my soul, fail not to seize the days*1,

And deny me not, when thou'rt a flower.

Time that this way comes is a wickéd thing

And he devours still our loving leisure;

So I would thee thy coyness away fling;

Else, senescence would rob thee of thy pleasure.

Had we forty thousant years to embrace,

They would not, with all their loves' quantity,

Make up the sum of this evanescent space*2,

The fineness of which lies in quality.

      My love, I cuddle thee closely all the more,

      For I know thy frailty's not mine e'ermore.

 

愛の花は愛そのものより先に枯れ

友情という甘露もほどなく饐えてしまう。

だから君は毎日を草花を摘むように大事に生きて

そして花のように美しいいま、拒むこと勿れ。

こちらにやって来る「時」は邪悪な輩で

いつでも二人が愛し合うための時間を貪り食う。

だから、はにかみは今すぐ捨ててほしい

老けがお前から悦楽を奪わぬうちに。

幾世もの間の抱き合う時があろうとも

そしてその愛をみな寄せ集めたとしても

このいまつかの間の愛にはとうてい敵うまい

この愛の素晴らしさは、その本質に宿るのだから。

  恋人よ、わたしがお前を抱きしめるこの腕の力は

  永遠にお前の脆さを我が物とできぬ分、強くなるのです。

 

*1:ラテン語で Carpe diem と言われる伝統を踏襲。訳すると「日を摘め」となる。意味するところは、この瞬間を精一杯楽しめ、ということ。これはホラティウス『歌集』第1巻第11歌に見られる。

*2:9〜11行目にかけて、シェイクスピアハムレット』五幕一場の有名な句 'I loved Ophelia. Fourty thousand brothers / Could not with all their quantity of love / Make up my sum.' を下敷きにしている。

2017年映画ベスト

 
 この記事の原版は2017年12月30日に公開したものであり、それをここに書き改めるものである。もともとこの記事が書かれた動機は、自分自身の従来の考えに反して私の「自分語り」をすることだった。私は「自分語り」は基本的に空しいものだと考えている。ここにいう「自分語り」とは自分自身の話をきいてもらうことを目的とした語り(例えば、「物語ることによる慰め」や「自己顕示」)であり、それは例えば解釈の上にどうしてもあらわれてしまう自分自身の性格や趣味、状況などとは区別される。つまり、私は、語る必然性のある文脈で、語ることに自ら納得した上で、自らを語るという拘りを持っているということだ。ここに、そして別の場所に発表してきた文章は全てその拘りのもとに書き連ねてきたつもりだ。当然、今書いていることも。
 しかし、当時の私は今まで書いてきた全ての文章が空しいと感じていた。自分自身が書いたものは結局自己満足だったのではないかと、もっと別の仕方で文章を書くべきではないかと。文章に携わろうとするすべての人が通る道だろうが、ちょうど自分が書くべきもの、やるべきことを探している時期だった。その「別の仕方」を「自分語り」に求めること。これはこの文脈において一つの実験だった。書くべきもの、やるべきことが見つかりつつある今、この記事はもう要らないのである。
 以下、以前通りの「拘り」に従って、基本的には「自分語り」を削除する方向で修正した。せっかく時間をかけて作ってしまった以上、これらの作品を知ってもらうきっかけとなるのであれば、今の私にとっても価値があろう。
 
1 牯嶺街少年殺人事件

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2 タンナ

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3 光と血

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4 ハッピーアワー

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5 細い目

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6 タンジェリン

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7 そうして私たちはプールに金魚を、

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8 ネルー

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9 娘よ

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0 メッセージ

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 以上がベストテン。ちなみに、今年のワーストはダントツで『お嬢さん』。削除しようと思って目を通していたら、もう一回同じ文章を書いて本人に送り付けたくなってきたので、ここだけ敢えて残しておく。

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 原作『荊の城』を読んでいないので誰の責任かは分からないが、脚本が安っぽすぎて全く面白くない。色本で教育されて育った朝鮮半島の「深窓の令嬢」という下品な設定は如何なる手を尽くしても擁護しがたい。フェミニズムや植民地問題に関心がありますとでも言いたげな演出が目立つが、こういう言い訳めいた映画が一番嫌い。チャヌクお得意のどんでん返しは、もはやあざとさを通り越している。これをやっておけば観客は喜ぶのだろうと考えてやっているようにしか見えず屈辱的。また、彼女たちの初夜を描く場面はあまりに酷くて思わず声をあげて笑ってしまった。自身の代表作『オールド・ボーイ』で用いた近親相姦の場面よりもずっと下品で、この人はまだ下が撮れるのかと本当に驚いた。それでいながら舞台設定や小物、女優などで趣味良さそうに画面を取り繕っているのは、映画監督としてというよりも、人として愚かしいと思う。こういう映画が事もあろうに名のある映画祭に出品され、多くの人の目に触れたこと自体嘆かわしい。この映画を評価する全ての人にこの程度の駄作に騙されないで欲しいとお願いしたいし、監督には一刻も早く引退してほしい。一方で、主演のキム・ミニは来年鑑賞予定のホン・サンスの新作に出演しているのでそちらでの活躍に期待している。
 
 2017年最も印象的だったシーンは、『愚行録』より以下の場面。これも他の感想より面白かったので、残しておく。

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 私は『愚行録』を作品として評価する気はさらさらない。正直ほぼ全編退屈だった。特に、人間の「黒い部分」を衝撃的なものだとみなし、あまりにも不幸に作り上げられた人物設定を使って人間の狂気を描くことが面白いと考えている愚か者の書いた脚本であることは明白で、思い返すだけで腹立たしい。
 ただ、カメラを見据えての自らが犯した一家殺人事件の真相を告白するこの一人芝居には、のめり込むような興奮を覚えた。画面を見つめて淡々と殺害の様子を語る場面が突然部屋の扉が開くことによって遮られる。そして、その場面が彼女が誰もいない虚空に向って話していた独白だと我々は知るのだ。この後に用意されている、彼女の子供が妻夫木聡演じる兄との間にできた子だと露呈する際のゾクッとするような演技も含め、抗えない迫力がある。満島ひかりのアイドル映画として、この場面だけ見返したい。
 なお、この場面と、上でも指摘した兄妹の秘密を踏まえると、なぜ妻夫木演じる雑誌記者が妹の犯した一家惨殺事件の真相を追うことに拘ったのかという疑問に、ある答えが浮かぶ。それは、真犯人として妹の名前を挙げた関係者を殺害するためだ。
 作中では兄と妹の秘密が露呈される場面で、妹は「秘密って大好き」という台詞でそれを暗示している。当然この「秘密」とは近親相姦のことであり、つまりともに親から虐待を受けていた兄妹の密接な関係における「二人だけの秘密」なのだ。
 果たして彼は本当に真犯人が妹だと知らなかったのか。この疑問が、作中ですっぽりと省かれている彼の仕事への動機に説明がつく。実際、妹の名前を挙げた大学時代の同級生は、彼によって殺害されており、彼の周到な工作で被害者の恋人が犯人とされてしまう。これも最初から殺すことが目的だったと考えないと、できすぎている。とすると、事件の被害者の大学時代の恋人が真犯人を知っているとして連絡をしてくる場面も少しゾッとした気持ちで振り返らねばならないことになる。このような情報の出し入れの妙技を持っているなら、もっとマトモなものを書いたらいいのに。

ベン・ジョンソンの抒情詩より一編の詩の翻訳と紹介---「シリアに寄せる歌」

シリアに寄せる歌*1

 

ベン・ジョンソン

 

あなたの目だけで私に乾杯をしてください*2
  そうしたら私も、目であなたに祝杯を差し上げます。
それか、杯の中にさえ口づけを残してくれれば
  私にはワインなどいりません。
魂からこみ上げてくる渇きは
  神聖な酒を求めるのですから。
ですが、たとえジュピターの神酒*3をすすることが叶うとしても
  あなたの杯と代えたりなどいたしません。
あなたに近頃、バラのリースをお贈りましたのは
  あなたを讃えようとしたからと言うより、
あなたの元でなら、バラにも枯れることが
  無いという希望を持たせられると思ったからです*4
ですがあなたは、バラに吐息を吐き掛けただけで
  私に送り返されました。
誓って申しましょう、それ以来バラが芳しく育つとき
  それはバラではなく、あなたの香りがするのです*5

 

 原文

www.poetryfoundation.org

 

 ジョニー・キャッシュによる演奏(1:00から始まります)*6。暖かく優しい歌声がとても心地よい。

www.youtube.com

 

 ベン・ジョンソン―人と作品 (1963年)

 

ベン・ジョンソン―人と作品 (1963年)

  
 

<註と鑑賞>

*1:この有名な抒情詩の詩行はギリシアソフィストであるフィロストラトス(c. 170/172-247/250)による5つの別々の散文の翻訳のパッチワークである。

*2:恋人に乾杯を捧げるというのは伝統である。目で乾杯をすることの意味までいちいち註をつけるのは野暮というものだろう。

*3:ネクターのこと。ギリシア神話の神々が天上で飲む酒で、飲めば不老不死になると言う。ところで原文のJoveはジュピターのことを意味するが、当時のイングランドでは検閲を避けるためGod、つまりヤハウェ、の代わりに使われることも多かった語である

*4:個人的にはバラの花を愛のメタファーとして読みたい

*5:シリアの吐息を受けただけで、愛のバラは彼にとって永遠に育ちつづけるものとなった。だが、彼女の吐息の理由は何だろう? 吐息を掛けて送り返すのは一体どういうことだろうか? ところで、この詩全体からはとても優しく、暖かい印象を受ける。脚韻はa-b-c-b-a-b-c-b-d-e-f-e-d-e-f-eとなっていて、これも優しい響きを持ち耳に心地よい。この詩では男性が女性に思いを伝えているが、女性はずっと沈黙したままだ。その上、彼を愛してはいないようにも思われる。果たしてシリアは、この至上の恋愛詩を聞いたあと、彼の愛を受け入れるのだろうか?

*6:パブなどで広く演奏されることになったこの音楽は18世紀に作曲された。作曲者不詳。

田中美知太郎の伝記

『時代と私』 田中美知太郎 

時代と私

時代と私

 

私は、自伝というものを、教訓に富んではいるがどこか独善的で気まぐれなところのある、よく聞かされる昔語りの類と観念していた。だから、『時代と私』という自伝を読んだ時、そこに全く違う自己の語り方が開かれていることに新鮮な驚きを禁じ得なかった。そしてまた、この点にこそ田中美知太郎という古典学の泰斗の人となりが最もよく現れているように思えたのである。そこで私は、個々のエピソードよりも、むしろそれを語る著者の姿勢というものに注目して、以下この本の魅力をお伝えしていこうと思う。

まず、著者の田中美知太郎について若干の伝記的説明が必要かもしれない。彼は1902年、新潟で生まれる。幼少の頃、家族で上京。開成中学校上智大学予科を経て、京都大学哲学科(専科)で学ぶ。戦中は東京の実家に戻り、大学講師として生計を立てた。戦後、京都大学の教授となる。昭和期を通して活躍した日本を代表する西洋古典学者であり、後進の育成にも熱心であった。その著述活動は多岐にわたるが、中心は古代ギリシアの哲学。主著に『ロゴスとイデア』、『ソクラテス』、『ツキュディデスの場合』などがある。保守派の論客としても有名であり、長年に渡り、文芸春秋の巻頭随筆を担当した。

自伝の紹介をするのに、これ以上の伝記的な説明は無用であろう。詳細は直接読んでいただくことにして、さっそくここからは、本題である田中独特の「自己の語り方」というものに迫っていこう。その特徴はすでに序章「はじめに一言」において顕著にあらわれている。ここで田中はまず、「この時代におけるわたし自身の思想的経験というようなものを語る」[i]という、自伝の執筆に際して自らに与えられた課題自体に批判の目を向ける。というのも、田中に言わせれば、「いかなる個人の生涯も、それが直ちに歴史と一つになるようなことはない」[ii]のであり、ユダヤ思想が浸透する以前においては「自分を時代のなかにおいて考えるというのは、決して自明のことではなかった」[iii]からである。これは彼が歴史主義と呼ぶところのもの、即ち万物を時間化(流動化)しようとする傾向に対する批判であり、序章全体はその目的のために捧げられていると言っても過言ではない。通俗化された歴史主義、あるいは凡歴史主義というものに対する抽象度の高いその批判をここで詳述することは本稿の目的にとってあまり重要ではないだろう。しかし、私たちにとっては、なぜ田中が自伝の序章の大部分をこのような批判に割いたのか、という点が興味深い問題となってくる。その背景としては、彼自身言っているように、時代が個人を包摂するような仕方で自伝を書く、という、おそらく出版会社側から提示されたであろう要請に対する違和感があったことは疑いを容れない。しかしこれをもう少し、積極的な仕方で考えてみることもできるのではないだろうか。つまり、歴史主義批判を通して彼は、自らの自己の語り方に制限を与えるとともに、その語り方に一定の方向性を与えているのだとは考えられないだろうか。個人が時代に還元されないというのは、自己を語るという行為に即して考えるなら、時代を自らの専有物にしないということでもある。もっと砕けた言い方をするなら、「あの頃は、、、だった」という昔語りの独断を排するということだろう。それによって、自らの体験を時代の代表とする傲慢を避けるともに、時代に還元されない個人としての田中美知太郎を語りうる可能性が開ける。要するに、歴史主義批判は著者自身の自己の語り方の表明であるわけだ。時代と個人の相克を、一方が他方に還元されることのないその複雑な関係性を描き出そうという意志表示であるわけだ。こう考えてみると、『時代と私』という自伝の表題は実に含蓄に富む、考え抜かれたものに思えてくる。これは、自己を語るにあたって、その語り方にかくも意識的で用心深かった人物の自伝なのである。

さて、ここまでくると、どうしても続きが気になってくるのではないだろうか。「このような看板を掲げておいて、この人は一体どんな風に自分の人生を語るのだろう?」と。ここからは、本稿の主題であるこの点を詳しく見ていこう。

まず注目に値するのは、自伝の諸方で多数の史料が引用されていることである。回想録、日記、研究書、年表とその内容は多岐に渡り、執筆者という点でみても十名ほどの名を見つけることができる。試みにその一部を挙げてみると、西田幾多郎波多野精一三木清、戸坂潤、高坂正顕など、当時のアカデミズムを代表する錚々たる顔ぶれである。これら田中と交際のあった学者らの日記、手紙が引用の大部分を占めるのであるが、それ以外のものとして、永井荷風の日記が戦時下の状況を的確に描写したものとして度々引用されていることも興味深い。変り種としては、隣家の婦人が田中の妻に宛てた手紙というのもある。これは田中が東京空襲で大やけどを負い人事不省となった際、主人の急を知らせるべく疎開先の妻のもとに送られたものである。このように田中は複数の史料を駆使して、自らの生きた時代、そして彼自身がその時々に感じていたことを描き出して見せる。そこにおいて、田中自身の記憶や記録は特権化されることなく、あくまで一史料として扱われている。もちろん、彼自身の日記や研究ノートは最も引用頻度の高い主要史料であり、時として自身の記憶のみを頼りに過去を再構成している箇所もある。しかし、田中の語りには自らの専断を避けようとする抑制が働いていて、それによって全体としては、自伝でありながらどこか他人が書いたかのような厳密で客観的なものとなっているのだ。といってもそれは無味乾燥であることを意味しない。むしろ私たちは田中美知太郎という古典学者の、それ自体で既に強烈な個性を放っている生涯を、田中美知太郎という、これまた個性的かつ博覧強記で抜け目のない敏腕伝記作家の目を通して見るという恩恵に浴しているのだというべきであろう。一つ具体的なエピソードを抜き出してみよう。舞台は1925年の京都、ある哲学茶話会での一幕である。田中はまず鹿野治助という、同時期に京大で学んだ人物の記録を引用する。

「談話が終って質疑応答となったが、その中でいまはなき木村素衛さんが何か質問をした。すると例の絹がすりの学生が横から口を出して、『そんなふうに考えるからプラトンがわからないのだ』とたしなめた。・・・・・詳しいことは忘れたが、絹がすりの小僧にいわば道場破りをされたようなものではなかったろうか。」[iv]

ここで言われている「絹がすりの学生」こそ、当時23歳だった田中美知太郎のことである。田中はこの引用に続けて、鹿野の記述では自分が「少しばかり颯爽とした恰好になりすぎている」[v]として、当時の自らの研究ノートから、同じ出来事について書いたものを引用する。そこには鹿野の記述とは対照的に、暗く鬱々とした以下のような反省と自己批判の言葉が並んでいる。

「ああ何という滑稽であろう。自分は夢中になって喋り、夢中になって威張っていた。会話の中心人物というような道化役を何故私は演じたか。・・・・・多数に対して私は二通にしか振舞えない。注目をさけて片隅に沈黙するか、傍若無人に一直線に自分のしたいことをするか。-すなわち、やはり他人の注目を無視するという一種羞恥心をごまかす仕方」[vi]

このように田中は自他の記録を併用することによって、一定の距離を保ちつつ当時の状況とその時の自らの心理を克明に描き出している。このようなやり方は、自伝の序章を個人と時代の関係性という問題の考察(例の歴史主義批判)に捧げるほどに、自己の語り方に意識的で用心深かった人物に相応しいものではないだろうか。序章のやや抽象的な論と、二章以下の具体的な記述とは納得のいく形で結びついているわけだ。しかし、それに続く箇所では、「若い時代には自分自身の既成事実というものが未だ少い」[vii]、そのため「半ば夢中で勉強しながら、それにどういう見こみがあるのか全くわからず、いつも不安な状態にあった」[viii]のだろうと当時の自分を分析している。青年期特有の不安について語る著者のまなざしに、私たちは何か親心に似た暖かさも感じることができるのではないだろうか。それによって、本書は回想が陥りがちな過度の恣意性を免れるとともに、悪しき意味での学問的な無味乾燥とも無縁のものとなっているのだ。

 最後にもう一つ、どうしても考察しておきたい点がある。そのために、まずこれまでの話の道筋を思い出してみよう。私たちは、自伝の序章から話をはじめた。序章では、歴史主義批判に主眼が置かれているという点である。それは、個人を時代という枠組みの中だけで考えてしまう傾向に対する批判であった。それに対し、個人は時代に生きつつも、完全に時代的制約に飲み込まれてしまうことはない、という点を田中は繰り返し力説していたのである。そこで、このような主張が序章の大部分を使ってなされているのはなぜかと問い、私たちはそこに田中なりの「自己の語り方」が宣言されているのではないかと考えた。だとすると、自己について具体的な話を始める前に自己の語り方を規定しているのだから、田中は自己の語り方についてかなり意識的な人だということになる。というわけで、かくも自伝を書くということに対して自覚的だった人は、一体どんな風に自己を語ったのか、という点が私たちの興味を引いたのである。その後の分析で、その自覚と彼の自己の語り方との間に納得のいく連関があるということは、多少なりとも明らかになったものと思う。しかし、ここで筆をおくとすれば、一つ大きな疑問が残ったままになってしまう。その疑問というのは、彼の「自己の語り方宣言」の内容、つまり時代と個人との関係についての主張に関するものである。即ち田中は、個人を時代に還元してしまう風潮に対して断固として否を突き付け、個人は時代に還元されえない複雑さを持っているのだとした。それでは、自伝の個々の記述の中では、個人である田中美知太郎と彼の生きてきた時代とはどのような関係にあるものとして描かれているのだろうか。まずは自伝の諸方に引用されている田中自身の当時の日記を見てみよう。

「不愉快な緊張感と虚脱感との交差から仲々解放されないのには弱る。午前、テアイテトス訳にかかる。午後、散歩少し。夜、入浴」[ix]とあるのは、1936年3月2日の記述である。「不愉快な緊張感と虚脱感」というのは、直前に起きた二・二六事件により田中が大きな精神的ダメージを受けたことを示している。一方、「テアイテトス」とあるのは彼が大学卒業以来10年以上にわたって続けてきたプラトンの対話編『テアイテトス』の訳業のことである。1939年9月2日の記事は第二次世界大戦勃発の翌日に書かれたものだ。「欧州不安気になる。ここ二年間の重圧に堪えて来た心。またこれからもっと大きな重圧に堪えて、自分の精神の自由を守らねばならぬ。それは絶望的な努力かも知れぬ。・・・」[x]その一か月ほど後の10月11日の記事には「現実の中から思想が生まれてくる?否、現実との距離に於いてのみ思想は生まれてくる。・・・」[xi]とかなり激しい調子で書かれている。その7か月後、1940年5月12日になると、「自分の住む国家社会が自分の道徳感を満足させない方向に動いて行くこと、その離反ほど悲しいことはない。・・・」とある。このように、時局が自らの予期に反してあらぬ方向に展開していくことに対するもどかしさと苦悩が当時の日記からありありと浮かび上がってくる。と同時に、彼にとって何よりも重要であった学問をその時代状況の中でいかに守り抜くかということが切実な問題として意識されることになるのだ。こうした時代との不断の緊張関係の中にあり、時代に迎合できない自らの在り方に生きづらさを感じつつも、田中はこの時期重要な論文を数多く発表する。時代との摩擦、軋轢がかえって精神生活の充実をもたらしたのではないかと著者自身は自己分析している。この間の事情を描いた自伝第十二章のタイトルが「最悪にして最上の時代」となっているのは、そのためであろう。では彼自身は当時のこのような自己と時代との関係をどのように捉えているのだろうか。少し長いが、自伝中の考察を二つほど紹介しておこう。

二・二六事件の非道と破壊的効果を述べた後で、

「わたしのささやかな仕事は、わずかでも知的努力の蓄積と創造の仕事だった。建設には長年月を必要とするが、戦争や内乱の破壊的仕事は、短期間のうちのこれを無にしてしまうのである。」[xii]

また1941-1942年の状況を描いた第十三章の終りに近いところでは

「人間の生活というものは、個人の場合にしても、社会全体について見ても、驚くほど複雑多様だと思われるのである。・・・そういう多様性は、戦争という特別の事態、・・・、外部から強い圧力がかけられ、それによってわれわれの生活はひどく圧縮されるわけだけれども、人間の多様性というものが破壊され、まったく単一化されてしまうということは、そう簡単には出来ないのではないか。」

個人は時代の奴隷ではないという、序章で繰り返しなされた主張は、戦争という異常事態を肌身で経験した田中自身の実感であるとともに、彼の地道な学問の営みを支えた思想であり、また時代に屈せずに生きてきたという自負の表明でもある、ということだろう。『時代と私』を通して、私たちは時代と個性というものが一人の人間の生涯において交錯し縺れ合う様を具に見ることになる。これは時代を個人に、或は個人を時代に従属させようとする安直な一元論に対する反証であると同時に、困難な時代状況に耐えて、自己の本分を守り通した著者の思想の書でもある。

 

[i] 田中美知太郎『時代と私』(新装版)文藝春秋1984年、p20

[ii] 同書P9

[iii] 同書P13

[iv] 同書P191-192

[v] 同書P192

[vi] 同書P192

[vii] 同書P194

[viii] 同書P195

[ix] 同書P284

[x] 同書P299

[xi] 同書P317

[xii] 同書P295